サイレントピアノ ヤマハ 開発

サイレントピアノの開発物語の記事を見ました

サイレントピアノの開発物語のネット記事を見ました。ヤマハの開発者の方の話が出ていました。

サイレントピアノとは

そもそもサイレントピアノとは何でしょう?

直訳すると「静かなピアノ」、「無音のピアノ」となります。

なんのこっちゃという感じですが、サイレントピアノは、生ピアノに消音装置を取り付けたピアノです。

これは実はヤマハの登録商標です。ヤマハが、1993年に世界で最初に発売しました。

ピアノは、鍵盤を押して、ハンマーを動かし、を叩くことで音が出る楽器です。それを、消音装置を使いハンマーを途中で止め、弦を叩かないようにすることで音を出さなくします。

そして、鍵盤もしくはハンマーの動きをセンサーで検知して、ヘッドホンやスピーカーから電子音を出します。

もちろん、消音装置を解除すれば、通常の生ピアノとして使えます。つまり、サイレントピアノは「電子ピアノの様にも使うことができる生ピアノ」です。

このサイレントピアノはどのようにして開発されたのでしょうか?

サイレントピアノの開発

開発チームの立ち上げ

開発チームは1992年に立ち上がりました。当時、チーム内で最年少の27歳であった小関氏は以下の様に語っています。
「自分が心から欲しいと思える楽器を作りたかった」
「プレッシャーはありましたが、苦ではなかった。やっぱりピアノが好きだからですよね」

また、自分から志願して開発チームに入った人もいました。大学卒業後、家電メーカーに入社したものの、3年後、楽器を作りたいという夢を諦め切れずにヤマハに中途入社した浦氏です。

浦氏は、既成概念を覆す生ピアノの開発が始まったと知り、上司に異動を直談判したそうです。

やはりと言うべきか、楽器を作る担当者というのは、ピアノが、そして楽器が好きなんだなあ、という事が分かります。

「ヤマハには昔から、やりたい人にやらせるという社風があったから、、、」(浦氏)

そして、会社側も、手を挙げた人に任せる、というのは結構大事な部分です。担当者と会社側がうまくかみ合っています。

目的は騒音問題の解決

開発チームが立ち上げられた当時の背景を少し説明します。日本の高度経済成長期に、ピアノは一般家庭に爆発的に普及しました。

そして、日本の都市部には、「密集した住宅地」や「集合住宅」などの住宅事情がつきものです。

ピアノが普及するにつれ、その音を「好むと好まざるとにかかわらず聞かされる隣人」がこれまた爆発的に増えることになりました。

そのような中、1974年に神奈川県でいわゆる「ピアノ騒音殺人事件」が起きます。日本で最初の近隣騒音殺人とされていますが、この事件でピアノを持つ家庭は恐怖しました。

集合住宅などで響き渡る、ピアノの「騒音」が社会問題化したのです。

これまでのピアノの音を小さくする工夫

開発チームが立ち上げられる前にも、楽器メーカーはピアノの音を小さくする対策をとってきました。しかし、決定打になるものは未だなかったのです。

マフラーペダル(アップライトピアノ)
1965年には、マフラーペダルが開発されます。これは、アップライトピアノの中央のペダルです。

このペダルを踏んで固定すると、ピアノの弦とハンマーとの間に薄いフェルト又はクロスが1枚入り、フェルトの上からハンマーが打弦するようになるため、音を小さくする効果があります。弱音ペダルとも言われます。このことによって、ピアノのペダルは2本から3本に増えました。

しかし、フェルト布の上から叩くことになるため、どうしても鍵盤の繊細なタッチ感が犠牲になる、という問題点がありました。

電気ピアノ
1976年には電気ピアノが登場しました。これは、ハンマーで弦を叩くまではピアノと同様ですが、弦の振動をピックアップで拾い、電気信号に変換してアンプで増幅し、スピーカーから音を出すものです。

音量が調節できる上に、独特の味わいの音色を持つものの、本物の生ピアノの音色とは異なる為、一般には普及しませんでした。

むちゃぶりの目標

今まで述べたような経緯もあり、開発チームの目標は、「生ピアノの音質や鍵盤のタッチ感はそのままに、音量を可能な限り小さくする」事でした。

もともとピアノの研究開発は「音をいかに大きくするか」が重要であったから、まるっきり逆の方向性でした、と小関氏は語っています。

チームは果たして、この「むちゃぶり」の目標をどうやってクリアして行ったのでしょうか?

「音を消す」という逆転の発想

チームは、「音を小さくする」ためのピアノの改造という流れから、「生ピアノの機能を保持したまま新たに消音機能を追加」する方針に変更しました。

「音を出すため」のピアノであるにも関わらず、「音を出さないように改造する」というところが正に逆転の発想です。

この流れを生み出したのは、1980年代後半から始まるエレクトロニクス技術の発達にあります。具体的には、下の2つです。
  • サンプリング技術:電子音源となる生ピアノの音を録音する
  • 光センサー:打鍵の強弱など鍵盤の微妙な動きを正確に捉える

消音機能の追加という方針を取ることにより、以下の様に状況による使い分けが可能となります。
状況による使い分け
  • 音を出したい時:元々のアコースティック機能で弾く。
  • 音を出したくない時:消音モードで弾く(自分だけヘッドフォンで電子音を聞く)。
*消音モード(ハンマーと弦の間にストッパーをセットし、打弦の寸前でハンマー動作を止め、弦を鳴らさないようにする機能)

実現への高いハードル

しかし、技術的には可能でも、その方針の実現には高いハードルがありました。

生ピアノの部品数は、概ね8000点もあります。この内、音のアクション機構だけで6000点あります。
*アクション機構(鍵盤を押し下げることでハンマーが連動して弦をたたく仕組み)

これらに、サイレント機能用の約200点の部品を追加するのは簡単ではありませんでした。もちろん生産工程も格段に増えました。

壁となった、社内からの反発の声

また、ヤマハの社内では、「音を完全に消すということに抵抗がある」、「電子音を使うことに不安を感じる」といった声が多かったようです。

壁を打ち破った試作品

反対の声も多くありましたが、そうした声を打ち消したのが、完成した試作品でした。出来上がったものは、開発した人々の想像よりもずっと良かったそうです。

見た目が生ピアノなので、電子音であっても、本当にピアノを弾いている錯覚に陥った、とのことでした。

発売して大ヒット

発売1年で1万台の販売を見込んでいましたが、なんと17000台の大ヒットを飛ばしました。

下手な練習を聞かれるのが恥ずかしい、とピアノに興味はあっても始められなかった、ピアノ未経験の大人の心もガッチリつかみました。

物事何でもそうですが、人に歴史あり、製品に裏話ありですね。苦労話は、ためになります。